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 マルタinformation

マルタ
ゴゾ

マルタ島 ヴァレッタ セント ジュリアン イムディーナ タルシーン
ゴゾ島 ヴィクトリア タ ピーヌ

 イタリア南部のシチリア島の南約100kmの地中海に浮かぶ島マルタは数多くの民族の侵略を受けたが、最終的に1974年イギリスから独立し共和国となった。首都ヴァレッタは特にオスマントルコとの大包囲戦の後、ヨハネ騎士団により発展の基礎が築かれた。また、国全体としては、先史時代の巨石神殿が島全体に残っており、古くから栄えた国である。これらをまとめてみるにはヴァレッタの国立考古学博物館と騎士団長の宮殿や聖ヨハネ大聖堂で、その一端を覗くことができる。

マルタ共和国の旅ついて

  アドリア海クルーズ  マルタ語学研修

 ヴァレッタの一日観光はアドリア海クルーズでグランド ハーバーのウォーター フロントに入港し、そこからヴァレッタ市内観光を楽しんだ。

 一方、マルタの語学研修は、観光産業で成り立っているマルタは公用語が英語とマルタ語。英語の研修スクールは多く、マルタの各地で実施されている。  

ヴァレッタ

 ヴァレッタはマルタ共和国の首都で、1980年に世界遺産に登録された。この町が建設されたのは1565年のオスマントルコとの大包囲戦後に、難攻不落の町づくりをはじめ、1571年に完成した。
 一日観光だけなら、マルタの中心街を南北に二分しているリパブリック通り沿いの観光名所で、町の雰囲気は十分に味わえる。

・ National Museum of Archeology
   国立考古学博物館
・ Republic st.  リパブリック通り


・ Grand Master's Palace   騎士団長の宮殿
・ St. John's Co Cathedral   聖ヨハネ大聖堂
・ Upper Barracca Garden   アッパー バラッカ ガーデン
・ Elevater           エレヴェーター
・ Water Front       ウォーター フロント


 左の画像をクリックすると、YouTubeシアターにリンクし「 マルタ ヴァレッタ 一日観光名所を歩く」を見られます。


 ヴァレッタ入港 Grand Harbour
 朝日を背にした輝く町。客船でのヴァレッタ入港は生涯の思い出に残る抜群の光景。


朝日に浮かぶヴァレッタ グランド ハーバー入口。 マルタ島の天然の港。
 

後方はヴァレッタの中心街。
 

客船よりヴァレッタの中心街。
 

客船のデッキよりウォーター フロント。
 

ウォーター フロント。
 ウォーターフロントからアッパー バラッカ ガーデンへのバラッカ エレヴェーター Barracca Lift
 ウォーター フロントからヴァレッタ中心街へは約100mの高低差があり、エレベーターはタクシーや馬車を利用しないで行ける隠れた優れもの。
 

ウォーター フロントよりエレヴェータへの入口。
ビルの入口上部に「Barracca Lift」の看板あり。



ガーデンより見たエレヴェーター。
 

ウォーター フロントとアッパー バラッカ ガーデンを結ぶエレヴェーター。
アッパー バラッカ ガーデン  Upper Barracca Garden
 海に突き出たような地形のため、グランド ハーバーとスリー シスターズを一望できる。
 

アッパー バラッカ ガーデンの列柱 建築当時のまま残存。
 

アッパー バラッカ ガーデンの砲台。今でも祝砲の発砲に利用されている。
 

アッパー バラッカ ガーデンよりスリー シティーズ。
 

カスティーユ広場にあるイギリスからの独立の父ジョージ ボルグ オリビエ首相のモニュメント。
オーベルジュ ドゥ カスティーユ  Auberge de Castille/Leon et Portugal
ヴァレットの像  Statue of Jean Parisot de Valette

 アッパー バラッカ ガーデンを抜けるとロータリーの正面に建っている。1574年に建設された。
 オーベルジュ ドゥ カスティーユからリパブリック通りに行く途中にあるヴァレット広場に建つヴァレットの像。
 

オーベルジュ ドゥ カスティーユ スペイン ポルトガル出身の騎士団の宿泊所。現在は首相官邸。
 

ヴァレット広場のジャン ド ヴァレット ヨハネ騎士団長の像。ヴァレッタの名前の起源。
 聖キャサリーン教会  St.Catherine of Italy
 

教会の入口ファサード。
 

教会の主祭壇。
 

教会の内部。
 

教会の天井中央のキューポラ。
リパブリック通り  Republic Street
シティ ゲートから半島の突端まで、町を南北に二分してまっすぐに伸びるメイン ストリート。商店街が並び、また観光名所もこの通りの両側に面している。  
 

商店の多いリパブリック通り。
 

大聖堂前の通り。
 

聖ジョージ広場 騎士団長宮殿前にある。
 

騎士団長の宮殿近くの通りでは人通りも少ない。
 

リパブリック通りの西側は商店街がずらり。
 

シティ ゲートに向かってのリパブリック通り。
 国立考古学博物館  National Museum of Archeology
 16世紀に建築され、聖ヨハネ騎士団のプロバンス地方出身者の宿舎だった。この博物館には新石器時代の巨石神殿をはじめとする遺跡からの発掘品を展示している。発掘品の本物はこの博物館に展示。実際の神殿にある展示品はすべてレプリカ。
 

国立考古学博物館の入口。左右対称の建築。
 

タルシーン神殿からの発掘品で、唯一の男性像。
 

巨石神殿のもととなった巨石。
 

ハジャー イム神殿からの豊穣な頭部のない女性像。
 

ハジャー イム神殿から出土したマルタのヴィーナス。
 

マルタのヴィーナスのセクシーな背面。
高さ 13.3cm。
 

マルタのヴィーナスの展示状況。
 

フェニキア時代の棺。
 

先史時代の壷、道具類。
 

スコルバ神殿からの像。
 

ハル サフリエニ地下神殿から出土した眠れる女神。
BC3300〜3000年頃の新石器時代の層。
 

騎士団の食堂であった二階の部屋。2013年工事中。
聖ヨハネ大聖堂  St.John's Co. Cathedral 
 騎士団の守護聖人ヨハネに捧げられた大聖堂。1577年に建築完成。身廊の床は騎士たちの墓所で色大理石の板が敷かれ、身廊の側面は騎士団を構成する八つの言語グループの礼拝堂がある。天井には聖ヨハネの生涯や騎士団長、十字架、甲冑などが描かれている
 

大聖堂入口正面。
 

大聖堂入口正面。二つの鐘楼がある。
 

豪華絢爛な中央祭壇と身廊。建物の外観と比較する内部の煌びやかさは、当時の騎士団の富を表している。
 

大理石で製作されている中央祭壇画。「キリストの洗礼」を意匠している。



身廊の天井画。
 

身廊後方。



マッティア プレーティによる天井画の一つ。
 

身廊後方。
 

ドイツ言語系の礼拝所の復元されたもの。
 

アラゴン言語系の礼拝所全景。
 

アラゴン言語系の礼拝所。祭壇画はマッティア プレーティによる「馬に跨る聖ジョージ」。
 

床一面に敷き詰められている墓碑。約400枚と云われ、いずれも色大理石で造られている。
 

ヨハネ大聖堂美術館。カラヴァッジョの傑作「聖ヨハネの斬首」を納める。
 

救世主イエス キリストのブロンズ像。
騎士団長の宮殿  The Grandmaster's Palace 
 宮殿は1547年に完成はしたが、その後1740年に改築された。現在は大統領府と議会がおかれているので、一般公開されているのは玉座の間と武器庫の関連するところだけである。
 

ネプチューンの中庭、中央に海神ネプチューンのブロンズ像が建っている。
 

ネプチューンの中庭の側面。
 

アルフレット王子の中庭と後方の時計塔。
 

騎士団の着用した鎧の前で。
 

宮殿通路は大理石の床。
 

宮殿内の通路、武器庫の方向へ。
 

宮殿通路の騎士団の鎧の前で。
 

ステイト ルームへの入口。



晩餐会などに利用される食堂。
 

玉座の間。騎士団長の部屋で、最高審議の間として利用された。現在は大統領の国事行為の際に使われている。
 

玉座の間の壁のタペストリーに描かれている絵はマルタ大包囲戦の模様である。
 

玉座の間の12分割された壁面のタペストリーには騎士団の戦争を描いた絵が飾られている。
 

大使の間、別名赤の間で赤いタペストリーが飾られている。
 

武器庫に向かって行くところ。
 

武器庫。大包囲戦で敗退したトルコ軍からの戦利品やその後ヨーロッパ諸国からの購入品もある。
 

ワイグナーコートの甲冑。
 

1601〜1622年まで騎士団長を勤めたアロフ ドゥ ワイグナーコートのイタリア ミラノ製の金メッキの甲冑の前で。50kg以上の甲冑。
 

いろいろな種類の槍や大砲。


大砲など。

マルタ語学研修
 マルタ本島

セント ジュリアン ヴァレッタ イムディーナ タルシーン 

 マルタ島にて行われる2週間の語学研修に参加した。マルタ共和国はイタリアの南の地中海に浮かぶ小さな島で、マルタ島、ゴゾ島、コミノ島の三つの島からなっている。かってイギリスの統治下にあったため、公用語は英語で、マルタ語も使われている。日本の淡路島ほどの広さで、人口が約40万人、

・Valletta   ヴァレッタ
・St.Julian's セント ジュリアン
・Mdina   イムディーナ
・Tarxien   タルシーン
・Ghar Dalam Cave アール ダラム洞窟


 鉄道網がないので、可愛らしい顔をしたマルタ名物のバスが島中を縦横に走っている。

     冬浅しバス丸顔や赤青黄

 11月4日、日本を出発し、直行便がないので、フランクフルト経由。窓の下はすっかり冬景色だ。乗り継ぎ待ちが約5時間、さすがに疲れた。マルタのセント ジュリアンのホテルに入ったのが夜9時過ぎ、自宅から約1日がかりの旅だった。

     北海や流氷の子のそこかしこ


 翌日5日8時半までに、語学スクールに行き、9時からクラスわけのテストを受ける。疲れと時差ぼけと睡眠不足で、頭はモヤモヤだが、やるっきゃない。  
活動報告写真 いつもながら、不安と期待の入り混じった高揚した気分で一日目をスタートした。私のクラスはスウェーデン人3名、ドイツ人、ロシア人各1名で、合計6名である。

    英語にもお国訛りかマルタ冬

 マルタでは、ホームスティではなく、ホテルスティにした。
ホームスティのような人との関わりは少ないが、気楽さがよい。首都ヴァレッタからバスで約20分。セント ジュリアンの小さな湾沿いにあるきれいなホテルで窓からはヨット ハーバーが見渡せる。


活動報告写真
二食付きなので、夕食は基本的にはダイニングルームで友人と待ち合わせた。スタッフがわれわれのサインを見る度に、日本語は芸術的で美しいと感嘆する。そんな彼の要望に答えて
  
    ジェームズをかなと漢字で冬うらら

 学校でも日本に興味を持つ人は多く、いろいろと聞かれる。伝統文化や経済や社会等、知っているつもりでも、いざ説明となると難しい。中途半端な知識は知らないに等しいと、何時も思うのだが、こういう時に自分の不勉強さが身に沁みる、年代が同じなので年金や社会保障も話題になるが、日本語でも解りにくいものを英語でなんて、全くもって大変だ。午前中3時間の授業のあと、午後はバスで遠足に行く。

セント ジュリアン  St.Julian's
 スピノーラ湾が深く町を抉り、湾には色とりどりの船が休んでいる海沿いに広がる町。観光産業が主で、ホテル、レストラン、ナイトクラブなどがある。
 

セント ジュリアンの町。中央の塔はポートマッソォ タワー。手前はスピノーラ湾。
 

スピノーラ湾沿いで、
 

スピノーラ ガーデンの噴水。
 

スピノーラ宮殿裏の一般公開されているスピノーラ ガーデン。
ヴァレッタ  Valletta  
 首都ヴァレッタは1530年にオスマントルコに追われた聖ヨハネ騎士団が、深い入り江の一角を本拠に決めたときから始まった。1565年にトルコ軍に辛勝した大包囲戦の経験から、強固な城塞都市を計画し、ヴァレッタ市が誕生した。騎士たちの栄光と夢の跡で、宮殿、大聖堂、多数の教会等々騎士団ゆかりの建造物が今に至っている。「紳士により紳士のために造られた街」として、この中世の計画都市はマルタの首都であり、世界遺産に指定されている。

       要塞にぶつかり跳ねる寒の潮
      凍星やコツコツコツと騎士の街
      月冴ゆる幾何学模様のシルエット

アッパー バラッカ ガーデン  Upper Barracca Garden
 ヴァレッタのウォーター フロントの北側にある高台で、スリー シティーズやグランド ハーバーを一望できる見晴台である。
 

アッパー バラッカ ガーデンの砲台。
 

アッパー バラッカ ガーデンよりスリー シティーズ。
 

ヴァレッタ グランド ハーバー入口。
 

岬側の中央にローワー バラッカ ガーデン。
 

アッパー バラッカ ガーデンより後方はスリー シティーズ。
 

アッパー バラッカ ガーデンよりウォーター フロント。
旧シティ ゲート  Old City Gate
 

トリトンの泉 ヴァレッタ シティ ゲート前にある。
 

シティ ゲート 向こうはリパプリック通り。
聖エルモ砦 Fort St.Elmo  
 ヴァレッタのあるシベラス半島の先端にある砦。1552年に建設され、1565年のマルタ大包囲戦では、一ヶ月に渡る戦いがあり、ヨハネ騎士団の勝利の後、砦の城壁が築かれた。
 

イン ガーディア軍事パレード。ヨハネ騎士団による要塞と駐屯所での軍事演習の再現。
 

イン ガーディア パレード。マルタ大包囲戦の戦勝を記念して毎月二回日曜日に催される。
 

砦南側のグランド ハーバー側。
 

聖エルモ砦の内部。アッパー砦の中央。
 

ローワー砦の北側内部。
 

ローワー砦の城壁。
 

アッパー砦の保塁。2015年の改装前のもの。
 

エルモ砦よりヴァレッタ市内を見る。砦北側のマルサイムジェツト ハーバー側。
イムディーナ  Mdina 
 マルタ島中央にある町で、騎士団の来る前はマルタの首都であった。ローマン様式などの中世の館が保存されている古都である。狭い静かな通りのある城塞都市で、別名「静寂の町」といわれる。城壁の外には、4〜5世紀に造られたカタコンベ( 地下墳墓 )、があり、曲がりくねった狭い通路の両側にはところどころ人骨がそのまま保存されている。

      冬薔薇迷路のごときカタコンベ
 

保塁上にそびえる大聖堂の屋根。
 

ムディーナは保塁の上にある城塞都市。
 

堂々としたメイン ゲート。
 

メイン ゲート。城壁に設けられた三箇所の入口のうちで、最も豪華な門である。1724年にバロック様式で造られ、現在でも町への通行の主要な入口となっている。
 

大聖堂、イムディーナを代表する建造物でバロック様式のファサードと二つの鐘楼をもつ。
 

城壁の外側は地下墳墓など。
 

ムディーナで見つかったノルマン様式の邸宅の例。
 

街中の通りは一般的には狭い。バルコニーは中世の典型的なマルタ式のもの。
タルシーン神殿 Tarxien Temples 
 地中海の真ん中に位置するマルタは、太古の昔から、文明の交差路としても栄えた。
マルタ島、ゴゾ島に散在する巨石神殿群は今から五千年以前に造られたそうだが、こんな巨大な石を、一体どうやって動かしたのだろうか。
 発掘された神殿の一つハジャー イム神殿から「 マルタのヴィーナス 」と呼ばれる豊かな体つきの女神像が見つかった。古代、豊穣の女神として畏敬されていたに違いない、と云われている。
 長野県茅野市で発掘された埴輪に、国宝に指定されている「 縄文のヴィーナス 」がある。
 大きさはかなり違うが、不思議なことに形がとても良く似ている。国や時代が異なっても人々にとって五穀豊穣を祈る偶像は、豊かな母のイメージに繋がるのだろうか。

     小春日やヴィーナスの尻たっぷりと

  左の画像は「 マルタのヴィーナス 」
  高さ 13.3cm
  左右   7.0cm
  前後   4.5cm








         右の画像は「 縄文のヴィーナス 」
          高さ 27cm
          重さ 2.14kg 
          












タルシーン神殿 
 ヴァレッタの南東にある。紀元前3000年から2500年に造られた。1913年に発見され、宗教的儀式の行われたところである。
 

儀式の行われた場所が造ってある。
 

タルシーン神殿の高さ2.5mのスカートをはいた太った女神の下半身の石像。
 

神殿の壁。
 

タルシーン神殿の景観。
アール ダラム洞窟 Ghar Dalam Cave 
 マルタ島の南東に位置し、古い時代の動物の骨などの痕跡が残されている。かばや野生の羊の骨などが発見され、先史時代はマルタとシチリアは地続きだったことがわかるという。かばの骨は一万年前、鹿の骨は4000年前、人類は7400年前という。洞窟は長さ144mあるが、入れるのは50mだけ。
 

アール ダラム洞窟の入口。トンネル状に地中に続き、天井高さも5〜8mある。
 

洞窟の地表上部には、かって川が流れていた跡が残っている。ここに動物の骨が閉じ込められていた。



 ゴゾ島

 タ ピーヌ聖堂 アズール ウィンドゥ 大聖堂 
 マルタ島の北西6kmのところにある。牧歌的な平野や美しい海があり、自然豊かな町である。マルタ島の北のチェルケウアからフェリーで約25分程度で着く。
 マルタ島セント ジュリアンからの一日観光旅行で訪れた
・ Ta'Pinu     タ ピーヌ
・ Azure Window  アズール ウィンドゥ
・ Victoria      ヴィクトリア
・ Mgarr      イムジャール


ゴゾ島フェリー  Gozo Channel Line
 

マルタ島のチェ。ケウアの港。見えるのがゴゾ チャンネル ラインのフェリー。
 

ゴゾ島のフェリー乗り場 イムジャール。
タ ピーヌ聖堂  Basilica of the national shrine of Ta'Pinu 
 この教会は奇跡の教会と呼ばれ、1883年教会の近くを通った農婦が聖母の声を聞き、人々の病気を治したという。教会内には、奇跡の声によって、命をすくわれたといった感謝の手紙が壁を埋めている。
 

聖堂の正面ファサード。1990年に、この前の広場でローマ教皇パウロ二世が説教をした。
 

教会の正面祭壇。
 

教会内部はマルタ大理石で造られた祭壇と「聖母昇天」のすばらしい絵画がある。
 

ロマネスク様式で作られた教会内部。1990年に時のローマ教皇を向かえて、披露した。
アズール ウィンドゥ   Azure Window
 長年の風と波の浸食によって形づくられた石灰岩の自然のアーチ。下の左の写真のような穴が試食されて大きくなり、アーチ型になったものと考えられたいる。このアズール ウィンドゥは2017年3月8日に暴風雨の後、完全に砕け、本土の付け根部分から水中に崩れていて、水面上には何も見えない状況になっている。
 

2007年11月撮影。
 

今はなきアズール ウィンドゥの前で。
 

アズール ウィンドゥから近い石灰岩にできている穴。
 

アズール ウィンドゥ近くのサンタンナ礼拝堂。
大聖堂ービクトリア  The cathedral 
 チタデル要塞の中に建つ大聖堂。
 

ゴゾ大聖堂。シンプルな外観である。
 

ゴゾ大聖堂を要塞より見る。


 マルタ雑感

 
 忘れてならないのは、島々を取り囲んでいる美しい海の風景だ。マルタ島ゴゾ島共に南岸は強い季節風の影響で断崖が多いのだが、奇岩,奇勝に恵まれ美しい。天然の防塁ともなっている。
 ブルーグロット( 青の洞門 ) は波の浸食で深くえぐられた神秘的な美しい洞窟ということで、ぜひ入ってみたかったが、天気の神様がなかなか微笑んでくれなかった。風や波の状況によって小舟が出ない。
二回挑戦したがむなしく敗退。残念だった。

     ブルーグロット青まぼろしに冬の雷

      寒の海マルタの神とにらめっこ

 東岸は深く陸に入り込んだ入り江が発達し、自然の良港が多く、その港を中心にして町が広がっている。











ヨットハーバーやプール、カジノなど遊び心を刺激する。







 

 巨大なビルディングのようなクルーズ船も数多く寄港し、夢は大きく広がって行く。
 


 ある晩、スクールメイト全員でカジノに出かけた。これもスケジュールに組んであるのだから素晴らしい。皆いつもよりおしゃれをして、ちょつと緊張気味。「みんなで世界一周クルーズがいいね」−−−なんて。

     冬銀河あれよあれよとカジノの夜
     クルーズ船霞むシチリア鴨の陣


 二週間の学生生活もあっという間に過ぎてしまった。国籍や年令、性別が異なっても共に学び遊んだ楽しい日々は、たくさんの思い出となっていつまでも心に残るだろう。
 再開を約束してお別れだ。

     冬耀あるいてみたき雲の上

やっちゃんよっちゃん

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