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俳句
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俳句の楽しみ

 俳句は17音の無限大のドラマである。

 舞台で演じられる芝居は観客の共感を得られるのであろうか。
 一人芝居は何を待っている。

 ドラマの
   主役---------------------季語

   脇役---------------------五感
    視覚        舞台、情景、背景の存在
    聴覚        耳を澄まして聴くと、音か聞こえる
    臭覚        リラックスの原点
    味覚        食の原点 生を実感
    触覚        行動範囲の広がり

   裏方---------------------第六感 直感
    知覚        左脳 右脳 創造 想像

 作品、脚本、演出 編集 全て 観客が顧客になってくれるか。

そんな世界で楽しみを見つけている。


俳句活動について

 共感は友より。
 長年のお付き合いから肌で感じる。

 俳句をはじめて十数年、早いものです。それまで何気なくすごしてきた日々が、いつの間にか季節に敏感になり、森羅万象に関心が向くようになった。だが、句を詠むのは難しい。わずか十七文字の中に自分の想いをどうやって描けるのか。考えすぎると余計ややこしくなる。素直に自分の言葉で、これからも愚直に続けて行きたいと思っている。
 吟行に参加するのも楽しみの一つ。観光旅行とはまた違った視点で小さな旅をするのも、俳句を学んでいる醍醐味だ。多分気付かずに通り過ぎてしまう野の花、小さな祠、歴史のある建物にも足を止める。いくつになっても知識が増えるのは嬉しいことです。

私、作る人

地図 一昔前、「私作る人、僕食べる人」というコマーシャルがあったが、僕というのは性差別ということで、「私作る人、あなた食べる人」に変わったという記憶がある。別に目くじらを立てる程の事ではないと思うが、基本的には料理は女性の分野だと自覚している。美味しいと言って食べてくれる相手がいるかどうかで、料理に向き合う姿勢が俄然違ってくる。張り合いも出るし、努力も工夫もする。
 子供たちが小さい頃の方が、料理をもっと、楽しんでいたと思う。小学生の頃、お誕生会が流行していたが、我が家で一番人気だったのがパン作りパーティー。成型する手前まで作っていた生地を皆に一個分渡し、好きな形に作ってもらう。それを焼き上げるのだが、誰も食べようとせず 、嬉しそうに持って帰ったのを今でも覚えている。作る喜びと食べる喜び。料理は様々な感覚を与えてくれる。
 さて、最近はというと、シンプルがベストなどと云って、かなり手を抜いている。
 健康に留意することを基本にし、素材を吟味して薄味でシンプルに。
 これで良しと思っている。
 
        釣りキチの息子自慢の鍋料理
        もてなしの膳用意する女正月


入笠山・入笠湿原の花を訪ねる。

地図 
梅雨の真っ最中、連日の集中豪雨のニュースに心配していた雨も上がり、青空の広がる中,あずさ号で小淵沢駅へ。ここから車で、富士見パノラマリゾートのゴンドラ駅まで行く。
 入笠すずらん公園、湿原は南アルプスの一部である入笠山の山麓、標高1730メートル余に位置する高層湿原で、春から秋にかけさまざまな高山植物が咲き競い、その美しさを楽しむことができる。
 特に約100万株の日本すずらんの咲く湿原斜面は、入笠湿原の最大のシンボルといわれている。
 
ゴンドラは我々を一気に1780メートルの山頂駅まで運んでくれる。
 展望台からは正面に八ヶ岳連峰が広がり、右方には甲斐駒ケ岳の雄姿と南アルプスの山々が遠望できる。
さわやかな風が心地よい。
 まず、青空の下で深呼吸。湿原までは標高差50メートルはある。チップの敷かれた森の小径は自然の豊かさに満ちている。鳥の囀り?蛙じゃないかしら。いや蝉の声よ・・・とこちらも負けずに姦しい。
 入笠湿原への入口ゲートがありびっくり。広範囲にわたり動物除けの柵が設けられているのだろう。開発と共に動物の生態系が変わり、特に鹿の食害に悩まされていると聞く。高山植物の宝庫は、その対策に頭を痛めているそうで、共存はなかなか難しそうだ。


地図
 がらり戸を潜ると湿原ははるか下に広がっている。
 日本すずらんの最盛期は過ぎてしまったが、白い可憐な花は涼やかで愛らしい。木道に沿って、九輪草,菖蒲、野花菖蒲、蓮華躑躅、黄花の山苧環などめずらしい花に出会う。唐松草や四葉ひよどりの蕾はまだかたそうだ。小さい黄色い花、馬の足形は群生していて美しい。
 山小屋の一角に紫紅色の敦盛草と小振りな黄花敦盛草が大切に保護され、訪れる人たちの目を楽しませてくれた。
 帰路は楽々コースを選んだが、所詮、上り坂だ。「行きはよいよい帰りは怖い」。

 一休みは、ルバーブ入りソフトクリームで呼吸を整え、ゴンドラで下山する。曲がりくねった山道をマウンテンバイクが一気に下って行く。若者の熱気が伝わってくる。
 山麓のレストランで句会。それから今晩の宿泊地リゾナーレ小淵沢に行き、句会の続き。夕食後はベランダで夕涼み。夏の星空を満喫することができた。
 翌日は、小淵沢駅から小海線に乗り清里に行く。丁度休暇の端境期か観光客は少なく、こんなに静かな清泉寮もよいなあと思った。

地図 午後は小淵沢に戻り、八ヶ岳南麓のうっそうとした森の中に佇む身曾岐神社を訪ねた。自然豊かな清緑の地を万象調和のまほろば「高天原」と定め、古神道本宮、身曾岐神社が鎮座すると案内書にある。
 明日は「夏越の大祓」の神事が夕方から行われるということだったが、時間の都合もあり残念ながら断念。青茅の輪をくぐり、さて何を祈願したものか。
 恵まれた梅雨の晴れ間の二日間、自然に親しみ美しい花々を愛しむ心豊かな吟行だった。
 
身曾岐神社能楽堂


       黄花敦盛草揺籃に眠り姫
       鈴蘭の谷へ格子戸くぐりける
       梅雨晴間足裏ふかふか木の香る
       九輪草楽々コース選びしぞ


清里清泉寮、サンメドウズ吟行

 台風17号、18号が接近しているという予報の中、スーパーあずさに乗車する。車内は季節柄か登山者が多く、網棚にはリュックサックが列をなしている。
 車窓からは、富士山が右に左にと姿を現し美しい南アルプスの峰々が、幸先の良い旅を予感させる。小淵沢駅で小海線に乗り換え清里へ。清里から車で約10分、サンメドウズに到着する。
 サンメドウズは八ヶ岳南麓にあるスキー場で、シーズン以外でもリフトが動いており、約1900メートルの展望台まで、我々を運んでくれる。展望台には「福叶う」「夢叶う」の木の鐘が掛けてあり、皆さん何やら一心に願をかけていた。眺望も素晴らしく、南アルプス、富士山、奥秩父の山々が眼前に広がり足元には、竜胆や秋のきりん草、松虫草が揺れている。秋の風が心地よい。
 5、6分登ると賽の川原に行けるというので、ちょっと下見に行く。森林帯を暫く歩くと、突然、赤茶けた広い場所に出る。そこが賽の川原で、想像したより穏やかに静まり返っていた。大きな富士薊が花の盛りを過ぎており、少々不気味な印象を受けた。ここから牛首山を通り、赤岳に登って行く人もいる。
 再びリフトに乗り、レストハウスで遅めの昼食をとる。高原野菜が多く美味しかった。清泉寮までは、歩くと約1時間、歩こうと決めて出発。
 途中で茸狩りのおじさんグループに出会う。皆各々森の中からビニール袋を下げて出て来たばかり。リーダー格の茸名人が、収穫してきた茸を一人分ずつ大笊に広げ選別している。中には、半分も捨てられてしまう人もいて、ああだこうだと姦しい。我々は楽しませていただいた。
 寄り道をしながらの歩きなので少々疲れ、途中美しの森からバスに乗リ清泉寮に帰着。
 一休みしてから川俣川渓谷に向かって散策をする。途中から方向を変え牧場の柵伝いに歩く。蝮草や釣船草、鳥兜などを見つけては鑑賞する。踏み跡を辿っていくと、とうとう行き止まり。さてどうしよう。
 戻るのは潔しとせず、牧場の中を横切ることにする。勇敢なる我ら、柵を乗り越えたり潜ったりと大奮闘。生憎というか幸いというか牛は牛舎にお帰りの後、ふんはべたべたあったが心置きなく歩かせていただいた。でも立入禁止区域でした。ごめんなさい。
 温泉にゆったり入った後に夕食。やはり、新鮮な高原野菜たっぷりの美味しいお食事でした。食後すぐに句会を始めたので、早めに終了。明日の天気を気にしつつ、床に就く。
 翌日朝のニュースによると、台風17号が首都圏を直撃するという。中央線は午前中で、特急、急行共に運休するという。我々は夕方の特急をとっていたが、変更せざるを得ない。予定を中止し早めに帰ることに。
 小淵沢駅を出発した時点で特急車内は通路もデッキも満員状態。甲府からは動くことすらままならない超満員のなか、ノンストップの八王子まで立ちっぱなしの一時間半だった。がんばりました。
 我々の体力に乾杯し解散。本当にお疲れ様。

       茸狩漢の笑顔満ち足りて
       富士薊 賽の河原にどんと咲く
       人声にきちきちばった逃げ惑ふ


ほたる

 蛍で思い出すのは、まず卒業式で歌った「蛍の光」。あのメロディーを口遊むと今でも胸がきゅんとなり、涙がこぼれそうになるから不思議だ。。最近はモダンな卒業式が多いと聞くが、「蛍の光」だけはいつまでも歌い続けてもらいたい。
 先日,久し振りに蛍狩りを楽しむことができた。夏の期間中500匹の蛍を毎日放つそうだが、その後彼らは高尾の自然の中へ帰って行くという。自然条件の厳しい中、人工的に飼育された彼らには、子孫を残すことは可能なのだろうか。人の目の届かない奥地で密かに数を増やしていると信じたい。
 子供の頃の思い出は鮮明ではないが、蛍は身近にいたような気がする。夏休みには父の生家にいとこ達が大勢集まり、蚊帳の中に蛍を放ち大騒ぎした記憶がある。
 いつの日か蛍が夏の風物詩として、自然に身近な存在になってきたらうれしい限りだ

       ほうたるや一筆書の墨の色
 


 半世紀以上前の横浜には美しい海と砂浜が沢山あった。磯子から金沢にかけては、今では埋立て地が多く、コンビナート群が連なり昔日の面影は全くない。淋しい限りだ。
 子供の頃は夏休みになると海で遊ぶのが日課のようだった。砂浜を駆けずり回り、貝拾いをし、泳ぎ、もぐりと海の楽しさを十分に味わった。今想い出すと恐ろしいが、圧巻は飛込みだ。漁船が停まる小さな桟橋が近くにあり、まず浮き輪を投げ込んでから、そこを目がけて飛び込んだりした。小さいとは云へ、船着場なのでかなり深く、すーっと沈み込んでから水を手でかき分け、一気に水面にでる。浮き輪がすぐ傍らにあれば大当たり。随分危険な遊びをしていたものだと思うが、とても懐かしく楽しい思い出だ。その反動だろうか、大人になってからの私は、山や高原の方ばかりに目を向けている。

       磯遊び想い出帳をひもといて


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  やっちゃんよっちゃん

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