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オーストリア Vinformation

ウィーン近郊の旅 
  バーデン
  マイヤーリング カルメル尼僧院
  ハイリゲンクロイツ修道院
  ゼーグロッテ

 

 ウィーンからバーデンへの旅は、正午頃にウイーンのオペラ座駅を出発し、約一時間後にバーデンに到着し、レーマーテルメ バーデンでゆっくりと温泉に浸かり、泳いだりして過ごし、ベートーヴェン ハウスを探すのに時間を要しましたが、町でのショッピングまとあわせ、5時間ほど滞在して帰りました。
 一方、ウィーンからマイヤーリング、ハイリゲンクロイツ、ゼーグロッテの旅は、ウィーン発の日帰りコースのバスツアーで、ウィーンを朝9時15分に出発し、全行程5時間の強行軍でした。その結果、各場所での見学時間は、マイヤーリングのカルメル尼僧院は10分。ハイリゲンクロイツ修道院は30分、ゼーグロッテは1時間という短いものでした。観光地を効率的に見て回れるのですが、物足りなさが残ったバスツアーだったと思っています。


ウィーン近郊の旅ついて



 ウィーンのオペラ座正面のウィークリー マンションに滞在中に訪れたウィーン近郊は

・ Baden  バーデン
  バーデンはウィーンから路面電車での旅

・ Mayerling 
  マイヤーリング カルメル尼僧院
・ Stift Heiligenkreuz
  ハイリゲンクロイツ修道院
・ Seegrotte  ゼーグロッテ
  
  マイヤーリング 、ハイリゲンクロイツ修道
  院、ゼーグロッテの旅は
  現地ツァーに参加


バーデン  Baden

 バーデンはウィーの南約25kmにあり、ウィーンの森の南部で緑豊かな地帯にあり、温泉ばかりでなく、ワインの生産地としても有名です。ウィーンのオペラ座横の駅より、路面電車で丁度一時間でバーデン ヨーゼフ プラッツ駅に到着します。路面電車はそのほとんどの時間を郊外の田園地帯の中を走るので、快適です。









バーデンの見所
・ Roemertherme Baden
  レーマーテルメ バーデン 
われわれの尋ねたのは、レクリエーション複合施設であるレーマーテルメ バーテン。
 プールと屋外浴場を利用しましたが、明るく開放的でした。温泉は硫黄泉ですが温度が低く、プールを楽しみ、旅のひと時を快適に過ごした。
 ・ Beethovenhaus ベートーヴェンハウス
 ベートーヴェンはこの家で、1821年、1822年それに1823年の夏シーズンを過ごし、交響曲第九の大部分をここで書いたといわれている。



 左の画面をクリックするとYouTubeシアター
「 ウィーンからバーデン レーマーテルメへ路面電車で」をご覧いただけます。











 

路面電車バーデン線の終点駅「バーデン ヨーセフ広場」。
 

ウイーンのオペラ座駅「オペラ」から乗車してきた路面電車。
 

バーデン レーマーテルメ入口。
 

室内プール。
 

屋外のジャグジー。
 

プール。プールサイドにはビーチチェアが設置。
 

バーデンの商店の様子。
 

ベートーヴェン ハウス。



マイヤーリング カルメル尼僧院 Carmel Mayerling

 マイヤーリングのカルメル尼僧院はオーストリアの皇太子ルドルフが狩猟の際に、使用していた居城です。世界的に有名な「 マイヤーリングの悲劇 」は、ここでおこったのです。オーストリア皇帝フランツ ヨーゼフ一世と皇后シシーの一人息子ルドルフが死んでいたところですが、その原因は今日でも不明です。皇帝はその年に、狩猟の居城を新古典的カルメル派尼僧院に作り変えています。1889年1月30日の出来事です。皇太子ルドルフと一緒に、恋人のメアリー ヴェセラも17歳で、死んでいたのですが、彼女はその夜のうちに、近くのハイリゲンクロイツ修道院に運ばれ、そこに埋葬されています。実際は、ハイリゲンクロイツ修道院から約1km離れた墓地で彼女の墓は見つかった。
















左写真の二人のカルメル修道女がいる美しい中央の礼拝堂は、悲劇の起こったところで、寝室のベッドのあったところです。















マイアーリング カルメル尼僧院
 ・ Klein Kirche  小さな教会
 ・ Parkplatz 観光バス駐車場













 

一帯は、静かな田園地帯である。
 

後方はカルメル派尼僧院。
 

カルメル派尼僧院。
 

尼僧院の入口。
 

尼僧院の中央祭壇。
 

中央祭壇上部。
 

後陣の造り。聖ローレンス教会式。
 

祭壇上部は聖ローレンス教会式との説。


皇太子ルドルフはウィーンの皇帝納骨堂に納められている。 
 

メアリー ヴェセラの棺。
2007年からこの尼僧院に移されている。
 

掲示の記事に悲劇の発生は「30.1.1889」とある。
 

悲劇の殺人は、この小さな教会で行われた。



     

ハイリゲンクロイツ修道院  Stift Heiligenkreuz

 ハイリゲンクロイツ修道院はウィーンの森の南部にあるハイリゲンクロイツ村にあるキリスト教のシトー会修道院です。既存のベネディクト会修道院と異なり、祈祷を重んじ、労働や学習に励み、自らも農具を取り、仕事をしています。
 修道院は1133年にオーストリアの辺境伯レオポルド三世により建設された。礼拝堂には聖なる十字架の聖遺品ーキリストが磔になった十字架の23.5cm長さの木片が1188年にレオポルト五世から送られ、1983年からここに飾られている。聖十字架の修道院の名はここから生まれている。

















 ハイリゲンクロイツ修道院
・ Stiftshof 内庭
・ Dreifaltigkeitssaeule 三位一体列柱
・ Kreuzgang 回廊
・ Brunnenhaus 噴水室
・ Stiftskirche 修道院内教会
・ Glockentuerm 鐘楼
・ Hallenchor 合唱室








 

内庭には、聖なる三位一体の塔柱が建っている。
 

バロック式の三位一体の塔柱。
 

内陣とゴチック様式の聖歌隊席
 

身廊。ロマネスク様式の建築。



身廊。
 

回廊。
 

回廊には、噴水室が付属しステンドグラスが見事。
 

聖堂参事会室のフリードリッヒ二世の棺。
石棺に収められ、床上に安置されている。
 

聖堂参事会室のステンドグラス。
 

内庭
 
内庭で。右側は修道院入口ファサード。



     

ゼーグロッテ Seegrotte

 ゼーグロッテは過っての石膏採掘坑道の下にあった大きな洞窟を中心とするヨーロッパ最大の地底湖です。
 ウィーンから南の方向に約15km離れたヒンタービュールの町にある。1912年に坑道に水があふれて一時閉鎖されたが、1930年以降は観光用に解放されている。
 地底湖は地表から60m地下にあり、水面は6200uの広さがあり、水が自然に溢れ出す穴はないので、水位を保つためにポンプで、毎日50,000lの水をくみ上げています。湖の深さは平均で1.2mです。
 第二次世界大戦中の1944年にナチスは、洞内の広さを利用し、水をくみ上げて、戦闘機製造の秘密工場をつくっていたこともあります。洞内はガイドツアーの見学があり、地底湖のボート遊覧が見ものです。



 Seegrotte  ゼーグロッテ
 ・ Schematischer Laengsschnitt des ehem.Gipsbergwerks 以前の石膏採掘工場の縦断面図
 ・ Gemauerter Eingangsstollen 入口坑道
 ・ Knappenraum 坑夫の部屋
 ・ Foerdertuerm 採掘塔
 ・ 2.Tiefbau 第ニ採掘坑
 ・ 3.Tiefbau 第三採掘坑
 ・ Landungssteg 階段歩道
 ・ Beginn der Motorbootfahrt 観光用ボート発着場
 ・ Riessenhalle 大ホール
 ・ Naturhoehle 自然の穴 ここから水が湧き出ている





ぜーグロット。
 

坑道入口。
 

約500mの坑道を通って行く。
 

ナチスの飛行機製造工場の面影。
 

ナチスの飛行機製造の名残。
 

階段歩道を下ると地底湖。
 

ボート乗り場の近く。
 

ボート乗り場の向こうにはドラゴンの像。
 

ボート乗り場。
 

遊覧ボートで出発。

 
観光ボートから横坑道。
 

観光ボートから横坑道。
 

観光ボートから横坑道。
 

観光ボートから横坑道。
 

観光ボートから横坑道。
 

帰路。

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