アドリア海クルーズ
中世にアドリア海の海運で繁栄した町ラヴェンナやバーリを訪ね、さらにアルベロベッロというおとぎの国のような小さな町に行くことができた。ラヴェンナはモザイク芸術の宝庫として有名な古都で、6〜11世紀にイタリアの政治、宗教の重要拠点として栄えた。モザイク芸術はこの頃から発展した。町のいたるところで美しいモザイク宝飾が見られ、「ラヴェンナの初期キリスト教建築物群」として、世界遺産に登録されている。
バーリでは、半島の付け根部分の旧市街にあるサンタクロースゆかりのサン ニコラ教会を訪ねた。地下の霊廟と礼拝所は静寂のなかにも威厳に満ちた雰囲気が漂っている。
アルベロベッロはトゥルッリという、めずらしい建物をこの目でじっくりと見、おとぎの国に迷い込んだような気になった。写真では見ていたが、実際に歩き、トゥルッリの外観ばかりでなく、中を覗くと、洞窟の世界が地上に出てきたように感じた。珍しい経験をしたものである。
イタリアの東海岸すなわちアドリア海に面した町、ラヴェンナ、バーリ、アルベロベッロを訪ねたのは、アドリア海クルーズの船旅であり、船が港に停泊している日中だけ、下船して町見物ができた。
アルベロベッロへは、バーリからバスの旅となり、現地でのトゥルッリの見学時間は約2時間であった。
バーリの港に停泊している船に帰るには、時間が十分にあったので、バーリの旧市街入口でバスから降り、バーリ旧市街のカテドラーレ、サン ニコラ教会を見るチャンスを得た。バーリで、一時間の見学ができたのは、幸運であった。
ラヴェンナ広域図
ラヴェンナはモザイクの町として有名であり、中世のイタリアの豪華絢爛なモザイク芸術を堪能できる。世界遺産指定のモザイク芸術を持っている建物は、合計で8箇所あり、素晴らしいの一言に尽きる。モザイク芸術の代表作の一つであるサンタポリナーレ
イン クラッセ聖堂は市の中心から南に約5kmのところにあり、郊外の原っぱの中に建っている。市バスはいくら待ってもなかなか来ない。見学時間が限られていたので、タクシーを利用した。
ラヴェンナ中心部の見所
・ Basilica di San Vitale
サン ヴィターレ聖堂
・ Mausoleo di Galla Placidia
ガッラ プラチーディア霊廟
・ Basilica di Sant'Apolinare Nuovo
サンタポリナーレ ヌォヴオ聖堂
・ Battistero Neoniano
ネオニアーノ洗礼堂
・ Tomba di Dante ダンテの墓
ラヴェンナの見所はポポロ広場の周辺にある、徒歩で見て回った。
郊外に Basilica di Sant'Apolinare in Classe
サンタポリナーレ イン クラッセ聖堂
左の画像をクリックすると、YouTube シアター「ラヴェンナ 世界遺産モザイクの町」にリンクします。
サンタポリナーレ イン クラッセ聖堂 Basilica di Sant'Apollinare in Classe 内部の祭壇上の半球のモザイクはユネスコ世界遺産に登録されており、中央の十字架の下に、キリストがアポロ神として描かれており、キリストの左右に12匹の羊が従っている。ラヴェンナのビザンチン教会として、最も見事な聖堂である。ユネスコ世界遺産。 |
|
聖堂の南面入口。 |
聖堂は緑豊かな郊外に建っている。皇帝シーザー像が迎えてくれる。ローマ帝国時代の名残か。 |
聖堂内部の天井の高い身廊。左右にある柱の彫刻はアーカンサスの葉を描いている。 |
上部中央の円形内にキリスト。左右に四人の預言者のシンボルを描く。 中央十字架の下にアポロ神。青い円形内にある黄金の十字架の左右にモーゼとエリナの二人の預言者。三匹の羊はペテロ、ヨハネ、ヤコブを表現。 |
聖堂内部の主祭壇と一般会席のある身廊。 |
主祭壇のある身廊横の広々とした回廊。ギリシャの大理石でできた24本の柱は見事。 |
サン ヴィターレ聖堂 Basilica di San Vitale サン ヴィターレ聖堂はビザンチン建築の代表的な聖堂で、6世紀前半に建てられた。聖堂内の後陣のモザイクはビザンチン美術の傑作と云われている。 ユネスコ世界遺産。 |
|
聖堂敷地内への入口。 |
八角形の建物で、外観はシンプルで平面的。 |
内陣の壮大な天井の大天蓋には光り輝くモザイク装飾が施され、蔦模様が組み合わされている。 |
天蓋の中央にはキリストを表しているという、金の光背を付けている子羊が描かれている。これを四天使のマタイ、マルコ、ヨハネ、ルカが支える。 |
凱旋アーチの内輪面には最上部の円形にキリスト、その左右下方に12使徒と聖ヴィターレの二人の弟子。 |
中央にキリストと四天使が描かれているモザイク。 |
主祭壇左側の壁面上部の右図の描かれている部分。 |
ユスティニアヌス1世と従臣のモザイク。 |
主祭壇右側の壁面上部の右図の描かれている部分。 |
皇妃テオドラと侍従。 |
ガッラ プラチーディアの霊廟 Mausoleo di Galla Placidia ガッラプラチーディアはローマ皇帝テオドシウス1世の娘で、ここに墓があるという。サン ヴィターレ聖堂と同じ敷地内にある。建物は上から見ると十字形をしており、横方向への張り出し部分ウイングは樽型をしている。廟内は薄暗く部分照明を行っており、天井、壁面などはモザイクで覆われている。ブルーを基調とした星や十字架が素晴らしい。 ユネスコ世界遺産。 |
|
小さな十字型の建物が霊廟。 |
内部は薄暗い。天井、壁面などはモザイクで。 |
ドームの天井に金の星の中に黄金の十字架。その四方には福音書の中の聖人の画。 |
この翼廊の下の場所にガッラ プラチーディアの棺が置かれている。 |
アカンサスの葉に包まれた泉の水を飲む鹿。 |
入口上部壁面に十字架をもつキリストと羊の群れ。 |
モザイクは部分的にライトアップされており、外光は取り入れられていない。 |
赤いアーチの縁取りの下には赤く見える小窓とその窓の下に泉の水を飲む2匹の鳩を囲んで4人の聖人の像。 |
サンタポリナーレ ヌオヴォ聖堂 Basilica di Sant'Apollinare Nuovo 493年頃に東ゴート王国のテオトリック一世により建てられたという聖堂。キリストの生涯や預言者たちを描いたモザイクは大迫力だ。 ユネスコ世界遺産。 |
|
聖堂正面。 |
後陣。豪華絢爛そのものだ。 |
金で装飾された豪華なモザイクが窓からの自然光で輝く光景は圧巻だ。左側壁面のモザイクのパノラマ。 右端に4人の天使に囲まれ、子供を抱くマリアと東方三賢人が描かれている。 |
|
左側壁面。ビザンチン期の22人の聖女の行列。 中段には、窓と16人の聖人が交互に配置。 |
右側壁面。聖マルタン以下26人の殉教者の行列。 中段には、窓と16人の聖人が交互に配置。 |
左壁面に描かれた「マントとフリギア帽子を着けている東方三賢人と中央にマリアと子供」のモザイク。 |
右側の壁面に描かれた「玉座に座るキリストと四人の天使」のモザイク。 |
左右の壁面の最上段には、各々13のモザイクがある。聖書の一部を表しているという。 |
身廊とそれを囲む側廊からなる三廊式教会堂。 24本の列柱はコリント式の造り。 |
ネオニアーノ洗礼堂 Battistero Neoniano 八角形のレンガ造りの建物は、正教徒洗礼堂といわれ、430年に建てられ、ラヴェンナで二番目に古い教会である。五世紀末に司教ネオーネによりモザイクが付け加えられ、青と金のモザイクが堂内の装飾と調和している。ユネスコ世界遺産。 |
|
八角形のネオニアーノ洗礼堂。 八角形の意味は一週間の日数7にキリストの復活の一日を加えて、8を表しているという。 |
中央天井のモザイク。左側の洗礼者ヨハネから洗礼を受けるキリスト。ひげをはやし、ヨルダン川に腰まで浸かって、立っている。 中央のモザイクを囲み、12人の使徒の両方向への行進が描かれている。 |
洗礼堂の内部。中央の囲いはコインの投げ込み用に置かれている。 |
モザイクと室内の装飾が調和している。 |
ダンテの墓 Tomba di Dante ダンテは晩年ラヴェンナに住んだ。神曲はこの地で書かれた。1321年神曲の全編を完成させ、その年になくなった。この霊廟はサン フランチェスコ教会の近くにあり、ダンテの葬儀はこの教会で行われた。 |
|
ダンテの墓。 |
ダンテの墓のドーム内。 |
ダンテの墓上部。 |
ドーム内の様子。 |
バーリはアドリア海に面し、中世には海洋国家として東方貿易に乗り出し,繁栄が続いた。その後、ノルマン王国の支配時代の13世紀の後半、フレデリックU世の時代にこの一帯は繁栄し、芸術も最盛期を迎える。11世紀から14世紀には、この地にプーリア ロマネスク様式の花が咲く。カテドラーレやサン ニコラ教会にその様式を見ることが出来る。
左の写真はカテドラーレであるが、観光バスをバーリ旧市街入口でわざわざ途中下車したのは、バスの中でロシアからの人がサン ニコラ教会に行きたいといっているのを聞き、我々も行きたいと考えたからである。
バーリ広域図
バーリはアドリア海に面して港を中心に開けた街である。中世以来海運都市として栄えた。
右の地図で薄紫色で表示つれている半島部に旧市街はあり、迷路のように入り組んでいる。観光名所を探すのに大変苦労した。新市街は19世紀に開発され、しっかりと区画整理されている。
バーリ旧市街の見所
・ カテドラーレ
・ ノルマーノ スヴェーヴォ城
・ サン ニコラ教会
バーリ旧市街図で、黄色線で表示されているルートは、GPSによる実際の取得軌跡である。
下方の旧市街入口のところで、バスを降り、そこから三箇所の名所を尋ねて、上方の埠頭に停泊している客船に戻った。
カテドラーレ Cattedrale 初期の大聖堂は1156年に破壊され、現在の建物はその後に建造されたものである。プーリア ロマネスク様式の建築として重要なものとなっている。 |
|
ファサードのバラ窓の下に、11世紀当時の開口部が三段に配置されている。 |
ファサードのバラ窓の周囲には、怪物や空想上の生物が彫り込まれている。 内部は三廊式で16本の柱に支えられている。 |
身廊の説教壇。13世紀の用材から作られている。 |
三廊式の内部はバラ窓からの光で明るい。 |
ノルマーノ スヴェーヴォ城 Castello Normano Svevo 11世紀のノルマン時代に築かれ、1233年に神聖ローマ皇帝フレデリックU世により再建された。 15世紀にスペイン アラゴン家のイザベラ女王が住まいとし、拡大した。現在はギャラリーとして利用されている。 |
|
入り組んだ道を抜けて、前方に城が。 |
城は北側の海に面したところ以外の周囲に堀を廻らせている。城壁はアラゴン石で出来ている。 |
城壁の北東面。 |
11世紀の土台の上に、13世紀に築城。 |
サン ニコラ教会 Basilica di San Nicola サン ニコラ教会は1087年〜1197年の間に建てられ、現在聖ニコラの遺骨が祭壇の下の地下の霊廟に安置されている。この教会は四角の形状をしており、むしろ城のようである。ファサードは二つのタワーで支えられ、強固にできている。教会の内部は中央の身廊とその両脇に側廊を持つ三廊式で、その間は御影石の柱で支えられている。因みに、サン ニコラはサンタクロースのことである。 |
|
教会の正面入口。ファサードは左右の低い強固なタワーで支えられ、城のようである。 |
教会の内部。上部の柱状アーチによって、聖職者の席は分けられている。 |
教会の主祭壇。三廊式で御影石の柱で分かれている。 |
主祭壇。この下の地下に聖ニコラの遺骨の大部分が安置されている。 |
地下への入口。 |
地下の内部。 |
教会の地下内部は静寂そのもの。左側の殉教者が座る椅子。 |
|
聖ニコラの聖画像。 |
サンタクロースのもととなった聖ニコラウス。 |
標高415mの丘の上にあるアルベロベッロ。この街を訪れて、まず、丘の上から見たものは石灰岩でできた白い建物の壁と、とんがり帽子のような屋根がのっている不思議な光景だった。「トルッロ Trullo」(
複数形がトゥルッリ Trulli ) と呼ばれる円錐形の屋根を持った家が所狭しと並んでいる。このとんがり屋根はこの地方で取れる石灰岩を薄く切り、四角い部屋部分の上に円錐形に積み上げていったもので、頂上にはピナクルと呼ばれる円錐がのっている。このトゥルッリのあるアルベロベッロの二つの地区、モンティ地区とアイア
ピッコラ地区が1996年に世界遺産に登録されている。モンティ地区のトゥルッリでは、この地方特産の食品やおみやげ物屋が多いが、アイア ピッコラ地区のトゥルッリは、ここで生活している住居である。
左の地図に表示されている黄色の線はGPSによる実際の歩行経路である。アイア ピッコラ地区の南にある丘の上から歩き始め、アイア ピッコラ地区を北に抜け、ポポロ広場からカーサ
ダモーレを見て、南に下り、モンティ地区を南西方向に抜け、T字路でモンテ ペルティカ通りに出て、サンタントニオ教会に行った。
教会見学後は、中心部に向かい、モンティ地区の東を抜けて、出発地点に戻った。
これだけの見学で約2時間。とにかく、アルベロベッロの中は、歩いて回るのが一番良い。
アイア ピっコラ地区 Rione Aia Piccola アイア ピッコラ地区では、地元の人々が日常生活を営んでおり、人通りも少なく、ひっそりしている。 |
|
アイア ピッコラ地区南の丘からモンティ地区を。 |
アイア ピッコラ地区を北に。 |
石灰岩を薄くして積み上げた円錐形の屋根。 |
生活の場はひっそりとしている。 |
この地区は静かな佇まいである。 |
二つの屋根がつながっているトゥルッリ シアメージ |
室内の見学、玄関や廊下はない。 |
中央のリビングから放射状につながる寝室。 |
貴重な水は降雨を屋根で集めて、地下の水槽に。 |
道路にあった飲料水のサービス。 |
ポポロ広場 Piazza del Popolo 市庁舎前の広場で、アルベロベッロの中心にあり、ここから道路は放射状に地方に向かって伸びている。町の人々の憩いの場でもある。 |
|
ポポロ広場。向こうに見える戦没者慰霊の碑。 広場の噴水。 |
第二次世界大戦中1940−45年の戦争戦没者慰霊の脾。 |
カーサ ダモーレ Casa d'Amore 1797年にこの街に造られたトゥルッリではない最初の建物。カーサ ダモーレは「愛の家」という意味で、当時の封建領主からの解放された証として建てられた。農民出身が多いアルベロベッロの住民にとっては、意味深い建物で、封建制度からの解放のシンボルとなっている。 |
|
カーサ ダモーレ。 |
建物の二階部分。中央上部の名盤に1797年建築とある。モルタル造りの家。 入口左上の名盤。 |
モンティ地区 Rione Monti アルベロベッロの観光のポイントはモンティ地区。サンタントニオ教会へ向かうモンテ サン ミケーレ通りやモンテ サン ガブリエーレ通りなどメイン通りの左右は、お土産店がずらりと並び、にぎやかである。ひしめき合って並ぶトゥルッリの外観を楽しんだり、お土産を買いながら中を見られたりと多くの観光客があふれている。 |
|
モンティ地区の裏通りの様子。 |
裏通りをサンタントニオ教会に向かうと登り道。 |
モンテ ペルチカ通りにでるとトゥルッリの屋根に記号があり。 |
屋根の記号は宗教による意味がこめられているという。 |
トゥルッロの室内を見学させてもらった家。 トゥルッリのレプリカを販売している店もある。 |
左上の写真の家の室内は広々としている。 |
モンティ地区はお土産店がずらりと並ぶ。 |
お土産店と飲食店が多く並ぶモンテ ペルチカ通り。 |
裏通りもお土産店が多い。 |
ここで、サッカー柄のティシャツを買い求め。 |
サンタントニオ教会 Chiesa del Sant'Antonio トゥルッリと同じ形式で造られた教会で、円錐の屋根に、白壁の建物になっている。モンティ地区の南西に位置しており、緩やかな上り坂を登りきったところにある。1926年にプーリア ロマネスク様式で建てられた。 |
|
トゥルッリの外観が周囲の景観と同じである。 |
主祭壇。質素な造りになっている。 |
礼拝堂も簡素な造り。 |
聖アントニオを描いている。 |
〒1問い合わせフォームからメールを
ご遠慮なくいただけると幸甚です